がん抑制遺伝子Cdkn2の起源を解明

掲載日2024.10.11
最新研究

理工学部 生命コース
准教授 荒木 功人
分子発生生物学、神経科学、進化生物学

概要

岩手大学大学院総合科学研究科修士2年の結城栞さん、岩手大学理工学部荒木功人准教授および坂田和実助教(ともに改組に伴い2024年4月より農学部に異動予定)らからなる研究グループは、1,100種以上の無脊椎動物のゲノムデータを用いて、がん抑制遺伝子Cdkn2および関連する細胞増殖制御遺伝子の分布と構造に関する網羅的解析を実施しました。その結果、(1)Cdkn2遺伝子は左右相称動物の進化と共に出現した可能性が高いこと、(2)進化の過程で複数回のCdkn2遺伝子の喪失が発生した結果、無脊椎動物においてCdkn2遺伝子の分布に偏りが存在すること、(3)5億年以上に渡ってCdkn2遺伝子は別のがん抑制遺伝子Faf1と染色体上で連鎖し続けていることを見出しました。本研究結果は、(1)無脊椎動物における細胞不死化技術の確立の基盤をもたらすとともに、(2)がん抑制遺伝子Cdkn2およびFaf1の間のこれまで知られていない相互作用の存在を示唆しています。
本研究は、2024年10月9日に米国Wiley社の学術誌『Genes to Cells』で公表されました。

研究成果のポイント

  • がん抑制遺伝子Cdkn2が、エディアカラ紀もしくはカンブリア紀に起こった左右相称動物の進化と共に出現した可能性が高いことを明らかにしました。
  • 進化の過程で複数回のCdkn2遺伝子の喪失が発生した結果、無脊椎動物においてCdkn2遺伝子の分布に偏りが存在することを明らかにしました。
  • 5億年以上に渡ってCdkn2遺伝子は別のがん抑制遺伝子Faf1と染色体上で連鎖し続けていることを見出しました。

背景

細胞増殖の制御は、個体発生や組織再生、細胞老化、がん等の疾患といった幅広い生命現象に関わります。細胞増殖はアクセル役のタンパク質とブレーキ役のタンパク質の両方によって制御されます。このうちアクセル役として特に重要であるのがCdk4およびCdk6(以下Cdk4/6と表記します)です。またブレーキ役として特に重要であるのが、がん抑制タンパク質としても知られるCdkn2で、アクセル役のCdk4/6に直接結合し、その機能を阻害します。ただ、これらの細胞増殖制御に関する知見は、主に酵母や哺乳類細胞の研究から得られたものであり、無脊椎動物における細胞周期の調節機構は殆ど解明されていません。
一方、近年、羊膜類(脊椎動物の哺乳類、鳥類、爬虫類)において、狙った特定タイプの細胞を不死化し、シャーレ上で長期間培養可能にする細胞不死化技術が開発されています。それらの中でも、Cdkn2に結合しない変異型Cdk4を利用するK4DT法は、細胞をがん化せずに不死化できるという利点があり、疾患研究や羊膜類の絶滅危惧種の細胞保存における利用が進んでいます。

研究内容?成果

私たちは、ゲノム情報が公開されている全1,100以上の種においてCdkn2遺伝子を含む細胞増殖制御に関わる遺伝子の分布と構造に関する網羅的解析を行い、(1)Cdkn2遺伝子はカンブリア紀の左右相称動物の進化と共に出現した可能性が高いこと(図1)、(2)進化の過程で複数回のCdkn2遺伝子の喪失が発生した結果、無脊椎動物においてCdkn2遺伝子の分布に偏りが存在すること(図1)、そして(3)5億年以上に渡ってCdkn2遺伝子は別のがん抑制遺伝子Faf1と染色体上で連鎖し続けていること(図2)を見出しました。

図1 Cdkn2遺伝子の進化に関する仮説 (x)はCdkn2遺伝子を持たない分類群、(△)は一部の種がCdkn2遺伝子を持つ分類群、(o)は解析された全ての種がCdkn2遺伝子を持つ分類群を表す。
図2 Cdkn2遺伝子はFaf1遺伝子と5億年以上に渡って連鎖し続けている

今後の展開

本研究により、無脊椎動物の細胞を不死化するためには、種によっては(つまりCdkn2遺伝子を持たない種では)K4DT法とは異なる戦略を採る必要があることが分かりました。Cdkn2遺伝子を持たないホヤでは、細胞周期の別のブレーキ役であるCdkn1がCdkn2の肩代わりをすることが、大阪大学の小林ら(2022)によって報告されています(なお、Cdkn1タンパク質の構造はCdkn2タンパク質のそれとは全く異なります)。私たちは、Cdkn1遺伝子が大部分の無脊椎動物に存在することも明らかにしました。従って、Cdkn2遺伝子を持たない種では、Cdkn1に結合しない変異型Cdk4/6を利用することにより細胞不死化を行うことができるかもしれません。但し、そのような変異は未だ報告されておらず、今後の研究課題となります。
無脊椎動物は、多くの寄生虫や病原体媒介動物を含んでいます。代表例として、アジやサバに寄生しヒトに食中毒を引き起こすアニサキス(イルカウミカイチュウ)や、松枯れを引き起こすマツノザイセンチュウ(以上は線形動物)、かつて甲府盆地を中心として猛威を振るい、今なお開発途上国で流行が見られる日本住血吸虫、北海道で流行が残るエキノコックス(以上は扁形動物)、マラリアを媒介するハマダラカ、アフリカ睡眠病を媒介するツェツェバエ(以上は節足動物)などが挙げられます。また、海産食用二枚貝の伝染性白血病、マボヤの被嚢軟化症、エビの急性肝膵臓壊死症といった水産業上重要な無脊椎動物の疾患も知られています。加えて、無脊椎動物にも多くの絶滅危惧種が存在します。従って、本研究結果を活かした細胞不死化技術の開発は、寄生虫病研究や病原体媒介動物研究、絶滅危惧種の細胞保存に貢献することでしょう。
本研究では、動物の進化の過程で、その登場からヒトに至るまでCdkn2遺伝子は別のがん抑制遺伝子Faf1と染色体上で連鎖し続けていることも見出しました。Cdkn2遺伝子を持たない多くの無脊椎動物にもFaf1遺伝子は存在しますが、対照的に、そのような種において特定の遺伝子がFaf1 遺伝子と連鎖し続けている現象は見られませんでした。このような進化上、連鎖が保存されている遺伝子群としては、個体発生中に細胞に位置情報を提供するHox遺伝子群が挙げられ、Hox遺伝子同士は機能的に相互作用することが知られています。Cdkn2遺伝子は細胞増殖を抑制することで、がん抑制遺伝子として機能しますが、Faf1遺伝子は、細胞のアポトーシスを促進することにより、がん抑制遺伝子として機能します。Cdkn2遺伝子とFaf1遺伝子との相互作用は報告されていませんが、ここまでに述べた事柄は、Cdkn2遺伝子とFaf1遺伝子とのこれまで知られていない相互作用を示唆しており、それはがん抑制に関連するものかもしれません。

掲載論文

題目:Evolution of the Cdk4/6–Cdkn2 system in invertebrates
著者:
結城 栞(Shiori Yuki)岩手大学大学院総合科学研究科 修士課程2年
佐々木 俊輔(Shunsuke Sasaki)岩手大学理工学部生命コース 学部生(在籍時)
山本 悠太(Yuta Yamamoto)岩手大学理工学部生命コース 学部生(在籍時)
村上 史夏(Fumika Murakami)岩手大学大学院総合科学研究科 修士課程(在籍時)
坂田 和実(Kazumi Sakata)岩手大学理工学部生命コース 助教
荒木 功人(Isato Araki)岩手大学理工学部生命コース 准教授
誌名:Genes to Cells
http://doi.org/10.1111/gtc.13165
公表日:2024年10月9日

用語解説

  • 左右相称動物
    始原的な無脊椎動物(海綿動物、平板動物、有櫛動物、刺胞動物)を除く全ての動物門に属する動物。
  • 連鎖
    DNA上(染色体上)で複数の遺伝子が隣り合って存在すること。
  • アポトーシス
    細胞が秩序立って死を迎えるプロセスのこと。ヒトの指の形成のように、正常な個体発生の過程で起こる一方、がん化しそうな細胞が「自爆」する際にも起こる
本件に関する問い合わせ先

理工学部生命コース(改組に伴い2025.4より農学部動物科学コースに異動予定)
准教授 荒木 功人
iaraki@iwate-u.ac.jp
019-621-6909